心がざわざわ
辞めたいと思っていた会社で思いのほか評価されていて昇格することになり、また辞めたいと思っていた主たる理由であるとある会社との取引も終了になる可能性が見えてきたり、昇格することにより自分がやってみたかった仕事をすることができるかもしれないという期待のようなものが入り混じっている。
がしかし。
同じ日に結婚式をあげた同年代の子が次々に妊娠している。
マタニティマークを見せびらかしながら旅行へ行き、切迫流産しそうになり入院。そんなときでもインスタの更新は忘れない☆
こんなアホがいるから、何も引き継ぎできず(とはいえ、妊娠中に旅行に行くようなアホは仕事もできないことが多いので特に困ることもないことも多いが笑)真面目に頑張っている人が被害を被る。
だからわたしは妊婦が嫌いだし、妊婦になりたくないから子供を産みたくない。
そう思っていたのですが、なんか心がざわざわしてしまって、子供を望まないわたしってやっぱりどうかしてるのではないかと心底落ち込んでしまいました。
だって彼女たちはこんなに楽しそうにしてるのに、わたしは出来損ないの契約社員に腹を立て、理不尽なクライアント対応に追われ、帰宅が遅いから愛する夫にごはんをつくってあげることもできず、休日も疲れ果てて寝てるだけ。なんかほんと、わたしってなんのために存在してるんだろうってめちゃくちゃ悲しくなってきて、しにたくなっています。
米国の調べによると、子供がいる人といない人の幸福度はさほど変わりはないそうです。
子供がいない夫婦に対しては、よく老後が、みたいなことを言われることもありますが、わたしみたいに仕送りもせず地元から遠いところで悠々自適に暮らして年に1回くらいしか帰らないような親不孝娘もいれば、40過ぎてもひきこもりで親の年金を食いつぶしてるクソ野郎、極端な話親を殺す子供だっているわけじゃないですか。
それに子供の立場にたってみても、「子供の幸福度」って正直家庭の裕福度がかなり関係していると思う。
親がどんなに愛情をかけて育てようと思っていても、満足にごはんも食べれない、家庭学習ができるような環境において子供が幸福かと言われると正直なハテナが浮かぶ。
わたしの家もそんなに裕福ではなかった。
むしろ子供が3人いてその年収でよく育ててくれたなぁと今は感謝しかないのだが、年が2歳ずつしか離れてないわたしたち兄弟は毎日のようにケンカをして、その度に外に出されたり、施設に入れると言われたりしてすごくイヤだったし、消費者金融から電話がきたりするのもイヤだった。
前置きが長くなりましたが、結局子供を産むって「運ゲー」だなって思いまして。
親が期待するように素直に育ち、優秀な大学を出て、世間的には立派だとされるような会社に勤め、容姿端麗、頭脳明晰、みたいな子供だとすれば親もハッピー、子もハッピーなのでしょうが
発達障害や病気があったり、いじめられて学校に行かなくなったり、それが原因でひきこもりになったり、ママ友ともうまくやっていかないとそれが原因でまた子供が仲間外れにされたり、とか考えると、「あ、やっぱりふたりで仲良く暮らせればいいや…」ってなるのでした。
ちなみに子供がどんな大人になるかというのは育て方ではなく、遺伝と幼児期にどんな人と関わったかというのが大きな要因らしいです。
って考えると、遺伝も関係するならわたしの肥満と夫の低身長を掛け合わせた子供ってハードモードすぎる。多分頭はそんなに悪くないし、運動神経もそんなに悪くはないと思うけれど、やっぱ見た目って大切ですからねぇ…。あと絶対近視。笑
というかんじでややザワつきは落ち着いたのですが、ふとした瞬間のザワつきがすごい。
でも、多分わたしって結構社畜体質でそれもわりと悪くないって思ってるフシもあるし、わりと自由に生きたいので、うちはふたり家族なんですって胸張って言えるようになりたいと思いました。
多分もうしばらくザワザワはすると思うけれど。